デス・オーバチュア
第44話「魔界」



瘴気に満ち溢れた暗黒の大地。
太陽の存在しない永遠の闇の空。
強さのみが全てを支配する修羅の世界。
血と破壊と殺戮だけを喜びとする魔に属する者達の故郷。
人はそこを……魔界と呼ぶ……。



「…………」
タナトスは崖下の荒涼とした大地を眺めていた。
果ての見えない広大な大地は、草一本生えておらず、生き物一匹いない。
この大地からは生気というものが欠片も感じられないのだ。
「まるで死の大地だな……」
大気中には空気の代わりのように瘴気が満ち溢れている。
空には太陽が存在せず、闇に閉ざされているが、夜というほど暗くもなく、不自然に薄暗いのだ。
「……リセット」
タナトスは崖下を眺めたまま、背後の人物に声をかける。
「……ん? 何、タナトス?」
タナトスの背後に浮いているのは、冥界で出会った虹色の天使だ。
もっとも、今は髪と瞳が虹色ではなく、深い緑色の一色で落ち着いており、背の天使の翼も消えていたりする。
「ここには、私の体はないと思う……というより、ここは絶対に私の『世界』ではないと思う……」
「……あはははっ、やっぱり?」
リセットは誤魔化すように笑った。
「やっぱりここは魔界みたいね。ん〜、最近闇の姫君が冥界から魔界への通路をよく作ってたから繋がりやすくなってたのかしら? でも、タナトスの『縁』を元に繋げたんだから、タナトスと縁もゆかりも無い世界に繋がるはずないんだけどな……」
「闇の姫君?」
「高位魔族よ。魔界と地上は高位魔族が行き来できないように大気を特殊変換させた結界があるから、一回冥界に来てから、魔界への通路作ってるのよね」
「ちょっと待て! 冥界を中継点にすれば、高位魔族も簡単に地上に来られるのか!?」
「まあ、そうだけど心配いらないわよ。生きたまま死界である冥界に来られるのなんて、闇の姫君以外では四人の魔王ぐらいだから」
「……それは……逆に問題なんじゃないのか?」
普通の高位魔族は地上に来られないが、魔王だけは地上に来られる。
最強の高位魔族である魔王だけが……。
「大丈夫大丈夫、地上に本体でやってくるなんて物好きなことは、四人の魔王はまずしないから」
「その根拠はどこから来る……?」
「少なくとも四人とも、生まれてから一度も地上に来たことはないわよ。例外は魔導師なんかが分身を召喚したぐらいね」
「…………」
「まあ、今はそんなことよりもこれからどうするか考えましょう。すぐにまた次の『門』を作ってみる? それともこの世界で少し遊んでいく?」
「遊んでいる暇など……」
タナトスの言葉を遮るように轟音が響いた。
「なんだ……?」
虫一匹、草一本生えていなかった死せる大地に、次々に人……いや、魔族達が出現する。
突然空間から出現する者、空から飛来する者、地平の彼方から駈けてくる者、果ての見えなかった広大な大地が、アッと言う間に数千、数万、いや、それ以上の数の魔族達で埋め尽くされてしまった。
「……なんだ、これは? 戦?」
「ああ、ここ境界線だったのね」
リセットは納得したといった表情で、突然現れた魔族達の殺し合いを眺めている。
「境界線?」
「そう、四人の魔王に四分割されている領土の丁度境目、少しでも自分達の領土を伸ばそうと、魔王の配下の魔族達が毎日のように戦争を行う場所、まあバトルポイントとでも言ったところかしら?」
「……毎日のように領土を拡げるための殺し合い……」
「もっとも、領土を拡げるためなんて目的の方が建前の奴が多いかもね、ただ殺し合いが、命のやりとりがやりたいんでしょうね、魔族なんてそんなものよ」
リセットはたいして興味なそうに、眼下で行われている戦争を観戦していた。
「まあ、こんなところで戦ってるのは所詮、十把一絡げ、烏合の衆、どんぐりの背比べ、雑魚ばかりよ」
「…………」
タナトスは無言で魔族達の戦争を見つめる。
人間同士の戦争、殺し合いとは何かが根本的に違った。
それは戦い方や能力の強さなどではない。
彼等は戦うために戦っているのだ。
戦うことが、殺すことが、殺されるかもしれないスリルを味わうのが、たまらなく好きなのだろう。
自国の、自分の所属する集団の勝利のためとか、野心とか、そんなものは建前だ。
破壊と殺戮という手段を満たすこと、それ自体が彼等の本当の目的、戦闘理由に違いない。
魂殺鎌の本能に支配された時の自分と同じように……。
「……リセット、また門を作ってくれ。こんな世界に用は……ん?」
突然、夜が訪れた。
元から常に薄暗かったのだが、太陽が存在しないにも関わらずなぜかこの世界は薄暗いだけで完全に闇には閉ざされてはいなかったのである。
それが今、一瞬にして完全に闇に支配された。
「……この世界にも夜があるのか?」
というか、今までは昼だったのか? 昼夜の入れ替わりはこんな一瞬でおこるのか?
タナトスの思った疑問に答える代わりに、リセットはただ『上』を指さしていた。
「……なんだ……あれは?」
戦場全域を影で覆い尽くしてもまだあまりうる『影』を生み出す飛行物体。
「至高天、魔界の双神の一人、最狂の魔皇、光皇の住む城よ」
「あれが城だと……?」
クリアの全域、つまり浮遊する島であるクリア全てよりも遥かにその『城』は巨大だった。
城から何か小さな影が飛び出す。
城の巨大さゆえに、それはとても小さく見えたが、よく見るとそれは一人の人間のようだった。
いや、魔界に居る以上、人間ではなく魔族か。
「……やばっ、タナトス離れるわよ!」
いきなりリセットはそう言うと、タナトスの同意も待たず、タナトスを背後から抱きしめ飛び上がった。
リセットの背に再び現れた七色に輝く翼が、飛ぶためというより、タナトスを守るように羽ばたく。
「リセット?」
その瞬間だった。
黄金の光がタナトスの視界を一瞬で完全に奪ったのは……。



「ふん……」
男は面白くもなそうに眼下を見下ろす。
一瞬前まで存在していた数万、数十万といった数え切れないほどの大量の魔族達は今は一匹も残っていなかった。
男が掌から撃ちだした小さな光の球が地に落ちた瞬間、黄金の光が弾け、全ての魔族を最初から存在していなかったのように跡形もなく消し去ったのである。
「つまらん……」
白いズボンをはいただけの上半身裸の金髪の男。
男の青い瞳は、氷のように冷たく透き通っていて、何の感情も浮かんでいないようだった。
「ほほう、これはまた見事に消し飛ばしたものじゃな」
「……静かになって丁度良い……」
男の右横には『真っ白な女』が、左横には『奇妙な機械を身に纏った少女』がいつのまにか寄り添っている。
「言うのう、煌(ファン)よ。吹き飛んだ塵の半分はそなたの部下であろう?」
「……あいつらが勝手にやってるだけ……別に私はセルと争う気はないのに……」
「仕方あるまい、領土ラインの拡げ合いは塵達の習慣のようなもの、魔界の法則といってもよい。本来、儂とそなた、四人の魔王は互いに啀み合っていなければならぬ、魔界のバランスのためにもな」
「……んっ?」
煌と呼ばれた黄金の髪をツインテールにしている少女は、背中に装着されていた二門の大筒を前方に傾けた。
大筒と同じく金属でできていると思われる二対の翼が紫の輝きを発する。
轟音と共に、大筒から少女の何倍ものサイズの紫の光が撃ちだされた。
紫の光はいくつもの岩山を消し飛ばしながら地平の彼方に吸い込まれていく。
「煌、何を撃ったのじゃ?」
煌は黄金の瞳で何もない虚空を見つめていた。
「……何か居た気がした……」
「ふむ、目に見えぬモノでも居たか?」
「……戻るぞ、ネージュ、煌」
金髪の男はそう言うと、二人の返事も待たず、黄金の光へ転じ、至高天の中へと飛んでいく。
「では、儂らも戻るとするかのう」
ネージュと呼ばれた女は豊かな白髪を掻き上げた。
歳をとって色素の抜けた生気のない白髪ではない。
ネージュの髪も瞳も肌も淡雪のように白く清らかで微かな輝きを放ち、この世のものとは思えない程に美しかった。
ネージュは白い光に転じると、金髪の男の後を追うように至高天の中に消えていく。
「……やはり、気のせいか……?」
煌はしばらく虚空を見つめ続けていたが、納得したのか、金髪の男とネージュの後を追うように至高天の中へと飛んでいった。



「たっく、位相のズレている私達を的確に撃ち抜こうとするなんて……流石は魔導王よね」
至高天が遠ざかっていくのを見て、リセットはようやく息をついた。
「リセット、いろいろ聞きたいことがあるが……」
「ん、何、タナトス?」
リセットは頬ずりしながらタナトスの声に答える。
「……とりあえずそろそろ離れてくれないか?」
翼を消し、地上に降り立った今もリセットはタナトスにおぶさるように抱きついたままだった。
「ええ〜? だってタナトス抱き心地良いのに〜」
「……やめろ、あの男を思い出させるようなセリフを吐くな……」
タナトスの脳裏に浮かんだのは、軽薄と軽口の申し子のような金髪の青年である。
「名残惜しいな〜」
「だから、頬ずりもやめろ!」
「親愛の情を示しているだけじゃない。女の子同士なんだから別にいいでしょ?」
「むっ……まあいい。それより、あの三人はなんだ? お前はさっき何をした?」
タナトスはリセットに離れてもらうのを諦め、抱きつかれたままリセットに質問をした。
「後の方の質問なら簡単だよ。光皇の力の余波から逃れるために飛んで、魔導王の一撃から愛するタナトスを翼の障壁で守ってあげたのよ〜」
「愛するって……だから、あの男みたいなセリフを……」
「で、前の方の質問だけど、白いのが雪と氷の女王ネージュ、物騒な金髪の小娘が魔導王煌、この時代の四人の魔王の内の二人よ」
「この時代?」
「タナトスが生きていたのがどの時代か知らないけど、タナトスと私が出会った冥界の現代の時点で、四人の魔王の内三人は一度代替わりしているのよ。不変なのは剣の魔王ゼノンだけね」
「……そうなのか?」
タナトスにはいまいちピンと来ない。
クロスと違って、タナトスには魔王や魔界についての詳しい知識はなかった。
もっとも、子供の頃に、育ての父親であるあの男に一通り習ったような気もするのだが……よく覚えていない。
「……じゃあ、あの光を放った男が……光皇か?」
「そうよ」
「……で、光皇ってなんだ? 魔王の一人か?」
「はぃ?」
リセットが間の抜けた表情を浮かべた。
自分はそんな変な質問をしただろうか?
「まあ、そう思っていても特に問題はないか……正しくは魔王より偉い存在、魔皇なんだけどね……」
「だから、魔王なんだろう?」
「そう魔皇……んん?」
リセットは妙な違和感に気づいた。
「タナトス、魔王と魔皇の違い解る?」
「だから、魔王は魔王だろう?」
「……そっか、そういうことね。『マオウ』の区別から説明しないと駄目なんだ」
魔王も魔皇も言葉にすれば同じ『マオウ』である。
もしかしたら、タナトスは魔王の上に魔皇という存在あること自体知らないのかもとリセットは思った。
「魔王、魔の王ってのは魔族の王様のことね。要は魔界はたった四つしか国がなくて、そのそれぞれの王様だとでも思えばいいわ」
「ふむ……」
「で、魔皇、魔の皇って書くんだけど」
リセットは口で説明しながら、実際に地面に木の枝で文字を書いて見せる。
「魔の皇帝? 皇帝というのは王国ではなく、皇国の場合の王の呼び名だろう? 別に違いは……」
「まあ、その辺の人間の考えた言葉や文法の理屈はどうでもいいのよ。とにかく、別物だとだけ理解してくれれば……」
「……解った」
「てわけで、魔皇ってのは四人の魔王を含めて、全ての魔族の支配者にして創造主、まあ、魔界の神様ってところね」
「神……」
「最凶の魔皇、魔眼皇ファージアス。そして、最狂の魔皇、光皇、光輝帝、光輝天使、魔族でありながら光輝を操る者、その名は……」
「……なぜ、『最強』が二つある?」
「だあっ! あんた細かいこと気にしすぎっ!」
そう言いながらも、リセットは律儀に、地面に『最凶』と『最狂』と書いて、丁寧にタナトスに説明してあげるのだった。










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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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